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【受賞のお知らせ】
韓国のEBS国際ドキュメンタリー映画祭(EIDF)にて、
本作が「スペシャル・メンション(特別表彰)」を受賞いたしました。
応援いただいたみなさま、誠にありがとうございました。
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【松本麗華さんが韓国映画祭に招待されながら「入国拒否」された経緯】
長塚 洋(本作監督)
右の写真は韓国の放送局EBSの、局舎玄関ロビーの様子だ(2025年8月30日撮影)。同局が主催し8月25日から開催されていた映画祭の期間中、選ばれた映画の画像が順次投影されていて、本作の一場面である松本麗華さんの顔も大きく映し出された。教育専門の公共放送であるEBSは彼女に招待状さえ出していたのだが――その人物の入国を、同国の政府組織であるイミグレーションが拒む事態となった。共に韓国に渡ろうとして間近に立ち会った者として、ここに経緯を伝える。

それは東京の羽田空港で起きた。8月27日午前10時過ぎ。国際線ロビーに大きなスーツケースを引いてやってきた麗華さんは、自動発券機の前で表情をこわばらせていた。既に予約してあった便に搭乗するための操作を何回やっても「チェックインはできません」と表示されるのだ。離陸までは、あと2時間あまり。その後、大韓航空航の職員が窓口に誘導して対応するが、やはり発券できない。だが調べるうちに、韓国側のイミグレーション(イミグレ、入国管理当局)が止めていることが判明する。ただし理由は、航空会社側にも明かされない。
一緒に韓国に渡航する予定の私を始め同行者が見守る中、麗華さんは敢えて告白した、「私は(オウム真理教の元教組・麻原顕彰こと)松本智津夫の娘で、8年前にも同じことが起きました」。実は麗華さんは2017年12月にも韓国旅行に出ようとした空港で、チェックインのシステムに拒まれていたのだ。この時も理由は結局明かされないまま、彼女は同行者たちを寂しく見送るほかなかった。
理由が示されないままの“差別”
だが、今回は異なる事情があった。一つは「映画祭からの招待状」があることだ。私が麗華さんを6年がかりで追ったドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』は、韓国でこのとき開催されていたEBS国際ドキュメンタリー映画祭(EIDF)で、500以上の応募作品の中からコンペ部門10作品の1つに選ばれていた。そして映画祭側が、私と麗華さんの2人あてに招待状を送付してきていたのだ。
麗華さんは大韓航空の職員に、この招待状と、そしてもう1つの書面を示した。日本政府が数週間前に出した官報のコピーだ。そこには今年7月、松本智津夫氏の妻であり麗華さんの母親である女性と、その二男(麗華さんの末弟)が暮らす家に警察が踏み込んで多額の現金を見つけた事案について書かれていた。この捜索を警察に要請した公安調査庁は、女性らについて「Aleph(アレフ、オウム真理教の後継団体)からの資金提供がある」と主張するかたわら、麗華さんなど他の親族は「アレフとの関係がない」ことを、初めて具体的に認める記述をしているのだ。
映画でも触れているように、公安調査庁はこれまで麗華さんがアレフの実質幹部だと主張し、彼女が求めた取り消しにも応じていない。前回の韓国入国拒否の背景にもこれがあると見られるのだが、その意味では新たな官報の記述は変化を期待させる動きだ。
2つの書類を預かった大韓航空の職員は韓国側のイミグレと連絡を取っている様子だが、進展はなく、時間だけが過ぎていく。なお、今回の事態について後に広がった言説の中には航空会社に責任があるかのような「搭乗拒否」との表現もあったが、大韓航空の職員は拒むどころか、彼女が麻原彰晃の娘と知ってからもなお誠実に、なんとか搭乗を可能にしようと奔走していた。
だが航空会社としても遂に万策尽き韓国イミグレ側からの、東京の韓国大使館へ連絡せよとの指示を私たちに伝えた。麗華さんは空港の一角から直ちに電話するが、大使館職員はこちらでは分からないから韓国のイミグレに聞くようにと、まさにたらい回しに。そこで私たちのチームのメンバーで映画祭側とパイプのある者がその場から韓国に国際電話して映画祭幹部に依頼し、幹部はイミグレに直接連絡したが、やはり説明は受けられなかった。
こうして2時間近くさまざまに試みるも事態は動かず、時間切れに。麗華さんは今回も、共に渡航するはずだった私たちを見送ることになった。気丈に振る舞う彼女に背を向け、搭乗口へ。映画『それでも私は』では、麗華さんが合格した大学から入学を、銀行から口座開設をそれぞれ拒まれるなど、これまでの人生で数々の差別に苛まれて来た現実を伝えている。銀行の担当者は「総合的な判断」とだけ語りそれ以上の説明を拒んだものだが、そうした「理由を示さないままの差別」が現在も進行形であると皮肉にも証明されてしまったことに私は、理不尽なやるせなさを抱えて機中の人となった。

令和7年8月4日付の官報。〈麻原の二男及び麻原の妻を除く「Aleph」との関係が認められない麻原の親族〉との記述がある。

8月27日、韓国の映画祭に向かうため羽田空港に集合した松本麗華さん(中央)と長塚洋監督(左端)。映画の“主役”である麗華さんだけが搭乗できなかった。
原因は日本政府の側に
問い合わせた映画祭幹部に対してイミグレの担当者は「お話しできることはない」と、繰り返すばかりだったという。実はイミグレーションという組織は基本的にどの国でも、理由を示さずに入国拒否ができる。外国から入ろうとする外国人に対しては政府がその権利を守りあるいは情報開示する義務がないとの理屈からだろうが、ではその原因が、本人の住む側の国の当局にある場合はどうか。
今回の入国拒否にあたり韓国民の安全を守る実質的な意味を、韓国当局がまともに検討しているのかは疑わしい。父親の逮捕当時(1995年)に12歳だった麗華さんは、一連の「オウム事件」に一切かかわっていない。また後継教団と彼女とはその後の裁判でお互いに争うなどしている。それでも実際に断絶しているのかを疑う声が今なお存在することは私も知っているが、6年間の取材を通じて私は、彼女が自分の生きる意味を探して血のにじむような苦闘をしている様子を、繰り返しカメラで捉えてきた。カルトの幹部であるならば、そのことに自分の生き甲斐を見出すのが自然だが、麗華さんの実人生はそれとはほど遠い。
そもそもいくらオウム事件が韓国でも知られているとはいえ、韓国側が彼女の危険性を独自に、かつ30年後の今も継続的に調査しているとは考えにくく、今回のことは日本側からの情報提供によると考えざるを得ない。ところで前述の官報で推量されるように日本側でその認識が変化しているとしたら、奪われていた権利も回復されるべきだが、それを日本側が積極的に伝えない限り、外国の当局は手元のブラックリストを書き換えはしないだろう。こうして二つの国の政府による不作為が、個人の権利侵害を引き起こしている疑いが濃厚だ。
入国を拒んだのは韓国当局だが、自国民の権利を守る義務は日本政府にある。一人の日本人が外国を訪ね、人々と交流することは憲法が保障する「文化的な最低限度の生活を営む権利」の一部だろう。もし、やむを得ずそれを制限するのなら、国はその理由を示すべきではないのか。
入国拒否翌日、『それでも私は』は映画祭で上映され、私は会場で、麗華さんは日本からオンラインで舞台あいさつ。韓国社会の生きづらさについて話した若者に麗華さんは「今日つらくても齢とともにしのげるようになるから、絶望しないで生き抜いてほしい」と答えていた。
その3日後。映画は「スペシャルメンション(特別表彰)」を受賞した。
人が越えられなかった国境を、映画は越えていた。
私たちの社会に差別と排除はなぜ、何によって生み出されていくのかを私たちは見つめ、見極め続けなければならない――まさにその事を映画は伝えようとしたのだった。ならばいよいよ多くの人に届けなければとの思いを、結石のように胸の奥で疼くあの理不尽なやるせなさの記憶とともに、改めて心に刻んでいる。

8月28日、映画祭の会場で登壇した長塚監督(左)。麗華さんは日本からスマホ(その右)の画面と音声であいさつ
